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かっちゃんのこと

お盆の最中、実家の近所の、私よりふたつ年上のかっちゃんが大きな会社の社長に就任したという話を耳にした。日本でも有数の大企業の大親分だ。え?マジで?

まずは大きく驚き、のちに納得した。決して「小さな頃から超優秀!」というわけでなかったけれど(もちろん優秀ですけどね)、努力を継続できる人だったのだと思う。そして何より…。今思えば、コミュニケーション能力に秀でていた人なのだと、改めて想像している。想像しまくっている。

 

かつて、オオタニの実家はなでしこ保育園の敷地内にあり(今のパーシモンのあたり)、地域の風土的に、知り合いの家はお互い気兼ねなく行き来する文化があった。だから門倉家(オオタニ実家)も、常に近所のおじさんおばさんで賑わっていた。事実、オオタニは幼少期に家族だけで夕食をとることはほとんどなかったし、近所の家で食べさせてもらったことも頻繁にあった。

そういう地域だということを元に、かっちゃんの話に戻る。歩いて高校へ通っていた(つまり高校から近い)かっちゃんの家には、放課後になるといつもたくさんの友達が来ていた。夕方になっても帰らない輩たちは、かっちゃん家族と共に食卓を囲み、とてもよく食べていた。食べ盛りの男子高校生が部活帰りに寄るのである。それは恐ろしい量である。でも、そのものすごい量の食事を作るおばさんはいつも幸せそうだった。しかしこのおばさん、単なる「優しい母親」ではない。

 

おばさんは口が悪かった。

 

おばさんは口が悪く

人を悪く言わない、

心根のまっすぐな

優しい人だ。

あ、結局優しい人って言っている。

 

口が悪いのは照れもあったのだろうが、自分をよく見せようなんてしなかったし、そもそもそんな発言の中でも端々に人への配慮ができちゃう人なのだ。

しつこいが「口が悪いのに」である。

もはや日本体操男子もびっくりの離れ業である。

だからかっちゃんの友達もおばさんにはいろんなことを話せていたんじゃないのかな、とこれも想像。

 

そしてかっちゃんの家は友達だけでなく、熊谷市柿沼の文化上、うちの父(もちろん口が悪い)も含めいろんな大人が出入りしていた。

だからかっちゃんは、小さい頃からたくさんの口の悪い大人に囲まれ、口先だけでないその人の本心を見通す術や、優しさを感じる心、その場にふさわしい言葉や身の置き方の選択肢なんかを身につけていったんじゃないかなぁ、と想像する。ものすごく勝手に想像している。

 

かっちゃんはもちろんなでしこの卒園児。

こういう先輩がいると思うだけで、なんだか勇気と元気をもらえる。

親以外の大人や仲間に囲まれ、いろんなことのフィルターに自分を通して、傷ついたり自信をつけたりした経験を、かっちゃんはどれくらいしてきたのだろうか。どんなふうに心に筋肉をつけていったのだろう。そりゃもう、今や日本代表になれるくらいの心の筋肉量だろうさ。

 

私はブラックジャックもドカベンもマカロニほうれん荘もかっちゃん家で読んだジャンプで知った。だからかっちゃんは大の恩人である。

だけど同じジャンプを読んできたかっちゃんはぼーっとせず、世を回す人になってしまった。さすが恩人。

 

そんな冗談はさておき、多分かっちゃんは小さい頃、目立ちはしないけれどしっかり遊び、しっかり傷つき、しっかり困難に遭い、しっかり大人に守られてきたんだと思う。傷ついた時には抱きしめてもらったりなんかして自信と安心を取り戻すことを繰り返してきたのかな。

 

今はこれが保育園の役割だ。家庭の次に大人が子どもを守る場である。家庭と園の順番はこの際どうでもよい。とにかく、子どもを守る大人が家族以外にいて、大海原へ出て困ったときには戻れる安心の港の役割をするのだ。

 

そんな大人のいる場所が、次の世代を健全に作る大人を育てるのだ。

と、そんなところまで想像してしまった。

もはや妄想か。

(オオタニ)